2015年12月30日水曜日

AE86 スプリンタートレノ 2ドアGT


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若い頃中古ばかり乗っていた石器人が初めて買った新車が、トヨタAE86スプリンタートレノだった。

グレードは2ドアGTの白黒ツートンカラーで、1984年に買ったので前期型ということになる。カタログの車重は905kgだったと思う。

デジカメも無かった時代なので、車の画像は残っていない。
仕方ないのでツートンカラーのコガラの写真でも貼って置く。

庭のコガラ(若しくはハシブトガラ?)




当時、ダートトライアルをやっていたので、この86のバンパーの下にCIBIEのMINIOSCARというランプを吊り下げて、夜中の河川敷や山奥の林道を走り回っていた。

この車の前には、2リットルの18R-GEUエンジン搭載のRA45セリカに乗っていたのだが、それと比べると86の4A-GEUは、よく回るけどトルク感は薄いエンジンだったと記憶している。

足回りは、リヤはリジッドアクスルなので基本的に頑丈だったが、フロントはダートラ場などで気合を入れて練習すると、ストラットのスピンドルが両方曲がってしまったことがあった。

駆動系は、当時効きが弱いと定評があった純正の2ピニオン機械式LSDを装着していたのだが、ダートではブレーキングやフェイント等できっかけさえ作ってやれば、後は楽に姿勢を維持出来る車だったのを憶えている。

車重は軽かったので、走行中に突発的な外乱に見舞われても何とかなる車だった。練習場所の林道や河川敷は、轍やギャップ、浮き砂利等の宝庫だから、ちょっとしたことでも簡単に姿勢が変化してしまうし、コーナリング中なら外側に吹っ飛ばされてしまうこともある。しかしこの86は、急激にアンダーステアが発生した場合には、アクセルを離すなりポンピングブレーキを踏むなりし、またいきなりオーバーステアが発生した場合でも、カウンターを当てた後のお釣りの発生しない素早いハンドルの戻しさえ心がけていれば、何とか道の上には居られる車だった。

足回りやガード類等必要最低限のパーツを装着して、この車でダートトライアルに出るようになり、悪名高い「1986 5/1車両規制」が施行された翌年の1987年には年間で十数戦出たこともある。(5/1規制は周囲には不評だったが、「なるべく同じ土俵で戦う」という点では、金もかからなかったし良い面もあると思っていた。)

で、その1987年の話だが、その頃になると、マツダから発売されていた4WDターボのBFMRファミリアが続々と出場するようになって来ていた。当時は2駆と4駆の区分が無かったので、何の因果か同じクラス(確か1300ccを境にクラス分けされるという排気量区分だったのは憶えがあるが、1300cc以上のクラスの排気量の上限については何ccだったか記憶が定かでは無い…)で走らなければならなくなった。当時AE86同士でさえ中盤位の順位に埋もれていた自分の未熟さもあったが、ドライのコースでもファミリアに一周でかなりの差をつけられ引き離されてしまうような有様で、そこに雨など降ったりすればとても勝負になる状況ではなかった。



そんな具合で、競技では全く不利な車になってしまったが、砂利道を走ることに関してはAE86は本当に楽しい車であり、基本的には丈夫な車でもあったから、練習等の荒い乗り方をしても、上に書いた「スピンドル曲がり」を除けば走行不能に陥るような大きなトラブルは発生しなかった。

ただ一点だけ不満があったのは、パワーステアリングが付いていなかった(ラグジュアリー仕様のGT-APEXには設定があったが)ためハンドルがかなり重く、ダート走行に必須の素早いハンドルの切り戻しをするために、広めの林道でのロックtoロックや腕立てなどで筋力を鍛える必要に迫られたことくらいだろう。





競技車としてはBFMRファミリアに敵わなくなったAE86だったが、自分なりに速く走るために練習も重ねた思い出深い車で、愛着もあった。

それでも、ダートラでの86の時代が去ったことを実感した1987年のシーズンの終わり頃、石器人も遂に86を捨てて4WDターボに乗り換えることを決意するわけだが…。




(続く)



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