タイミングベルト切れでバルブが曲がり、エンジンが回らなくなったコルディアに見切りをつけて次の車を探していたのだが、札幌の中古車屋で相場よりかなり安い日産のパルサーGTi-Rを見付けて買ってしまった。
当時、土系のモータースポーツで主流になっていた、2リットル4WDターボ車なので飛び付いて買ったわけだが、コレが酷い車だった。
窓をきっちり閉めているにも関わらず、どこからともなく風が吹き込んでくるのだ。買ったのは春だったので、風が入ってきてもそれ程寒いわけでもなく、夏に向かって行く内にあまり気にならなくなったのだが、例によってダートラに出場すべく、手始めにハンドルを交換しようとして、とんでもないことを発見した。
ステアリングコラムから生えているウインカーレバーが「前後」にグラグラ動くのだ…。通常、ウインカーレバーは上下にしか動かさない(石器人は昔から街中では殆どハイビームは使わないので)から、今回ハンドルを外して点検するまでは、前後の動きまでは気付かなかったわけだが…。
このウインカーレバーが前後に動く原因なのだが、前後方向の強い衝撃が加わったようで、根元の固定用ベースの樹脂部分が割れていたのだ。何故こんな場所が割れるのか?と考えてみたのだが、ウインレバーの前にはハンドルがあるから、たとえ事故が起きて上半身がぶつかったとしても(この時代はまだエアバッグは普及していなかった)、ハンドルに遮られてウインカーレバーが破損することはない。考えられる原因としては、ウインカー操作中に衝突事故を起こしたのではないか?ということだ。
そう考えると、車内に吹き込んでくる隙間風も、衝突時にボディが歪んだまま、ろくに修正もしなかったのでは?と思えて来る。しばらく乗っていたら、隙間風はどうやらドアの隙間から吹き込んで来ることも判明した。ドアがきっちり閉まらない程ボディが歪んだ車に乗っていても、この先ろくなことはないだろう。北海道の開拓農家じゃあるまいし、冬に突入したら車内が雪で真っ白になった、などという状況も願い下げだ。
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ということで、冬になる前にまた別の車を探し始め見付けたのが、嘗て煮え湯を飲まされた宿敵、マツダの1600cc BFMR ファミリア4WDターボGT-Aeだった。このGT-Aeという車は、マツダがモータースポーツ参加者用に出した競技用ベース車で、フロントグリルにはCBIEのフォグランプOSCARがビルドインされていた(定かではないが、恐らくマツダスピード製のグリルだったかと思う)。当時からフォグランプ好きだった石器人はすぐに気に入って、このGT-Aeを買うことになった。例によって写真は無い。
この車は競技車上がりということで、相場より安い価格で中古車屋で売られていたのだが、事故歴も無く、足回りはラリー用バネとダンパーが組み込み済みで、リヤに機械式LSDと、強烈なペダルの重さのメタルクラッチも装着されていた。
これを競技車に仕上げるべく、ガード類等のパーツ探しをしている内に、当時北海道の貴重なモータースポーツ情報誌でもあった「オートワン」という雑誌の売買欄で、「BFMR用のガード類一式売ります」というのを見付けた。この売り主に連絡を取ってみたところ、なんとこのGT-Aeの前の持ち主だったことが判明。装着したまま売りに出してくれれば手間もかからなかったのに、と思いながらも、これでガード類一式を手に入れて、一応ダートを走れる車としての格好はついた。
で、乗ってみた感想なのだが、エンジンはコルディア4WDに比べると1000回転多く回せる(レッドゾーンは7000回転)し、ターボ車なので以前乗っていた86よりトルクは太い。但し低中速のトルクは1800ccターボのコルディアよりは無い。操縦性はフロントヘビーな感じで、ダートを走れば基本的にはアンダーステアなのだが、リヤLSDのおかげで、きっかけさえ与えればFR的に走ることもできた。
このBFMRにはセンターデフ機構が有ったのだが、プラネタリーギヤ方式という特殊な形式で、デフの中にビスカス等の流体カップリングが入っているわけではなく、ボタンで「フリー」か「ロック」が選べるようになっていた。「ロック」を選ぶと「直結式パートタイム4WD」と同じく、100%ロス無く後輪に駆動力が伝わるのだが、「フリー」にした途端、はっきりトラクションが落ちるのがわかった。
ノーマルデフの左右輪と同じで、センターデフが「フリー」状態で前輪が空転し始めると、後輪に駆動が伝わらなくなるのだ。そのため、ダートや雪道を走る時は、センターデフは常に「ロック」の状態で走っていた。
この車で、再びダートトライアルに出るべく練習を重ねていたのだが、この頃になると競技の主流は既に、三菱ギャランやスバルレガシィ、パルサーGTi-R等、2リットル4WDターボの時代に移り変わってしまっていた。「オートスポーツランド砂川」で地区戦や年に一度の「全日本戦」のダートトライアルが開催されるのだが、そこで走る2リットル4WDターボ車達の圧倒的な速さを見ている内に、これはもう1600ccターボの時代は終わったな、と痛感させられたのもこの頃だったと思う。
時代遅れは承知の上で、それでも林道や河原で練習をしていたのだが、ある日突然、5000回転以上回すとアクセルを踏んでもエンジン回転が上がるだけで加速しなくなった。
所謂「クラッチが滑る」という奴で、メタルクラッチは一旦滑り始めたら、騙し騙し乗ることは難しいらしいので、早速整備工場に持ち込んで新品の「ノーマルクラッチ」Assyに交換してもらった。
ノーマルクラッチに戻して乗り始めた途端、クラッチのあまりの軽さに、知らずに「水の入ってない薬缶」を持ち上げた時のような衝撃を受けたことを今でも思い出す。
クラッチが軽くなって「普通の車」に近くなったBFMRに乗っている内に、「普通の車」ならなんでこんなに「ガーガーゴーゴー」うるさい(防音材は剥がしてあった)んだろう、と思うようになってきた。その頃になると、この型落ちのBFMRで競技に出よう、という気力も薄れて来た時期だったので、ぼちぼちと次に乗るなら「楽ちん」な車でもいいかな、と思い始めていた。
で、BFMR GT-Aeの車検が近づいた或る日、次の車を見付けたのだが…。